今日は、少し
個人的なご報告を書かせていただきます。
先日、実父が亡くなりました。
あまりにも
「日常の途中」での知らせで
その瞬間から
時間の流れがいつもと違う
“ゆっくりさ”を帯びはじめました。
悲しみというのは
必ずしも
大きな波のように
押し寄せるばかりではなく
静かな湖の底に石が沈むように
じわりと
言葉にならない重さとして
胸に広がっていくのだと感じています。
胸の奥がぽっかりするということ
人が旅立つという出来事は
日常のあらゆる物事の
“輪郭”を変える力を持っている気がします。
たとえば、
いつも通りの夕飯の風景なのに
どこか一角が
空いているように感じたり
ふとした瞬間に
思い出の断片が
浮かんで胸がつまったり。
「人はいつか旅立つ」
頭では理解していたつもりでも
実感として
それが自分に触れると
心はやっぱり
追いつけなくなるものですね。
寄り添ってくれた言葉
そんな中
まわりの方々がかけてくれたある言葉が
心に静かに沁みていきました。
「寂しいね」
「家族との残りの時間、大切にしてね」
励ましでも
前向きなアドバイスでもなく
ただ
“目の前の悲しみを否定しない言葉”。
そのやわらかさが
胸の奥のぽっかりとした部分に
そっと布をかけてくれるようでした。
人は悲しみに向き合っているときほど
“正解の言葉”より
“寄り添いの温度”を求めているのだと
父の旅立ちを通して
あらためて知ることになりました。
大切な人と過ごす時間について
そして、
父の死をきっかけに
家族との時間について
深く考えるようになりました。
忙しさの中で
つい後回しになってしまう想い。
「また今度でいいか」と
思って流してしまう短い会話。
疲れているから
余裕がないからと
なんとなく置き去りにしてきた
“当たり前の時間”
旅立ちは
その「当たり前」の尊さを
静かに教えてくれるものなのかもしれません。
これからは
特別なイベントよりも
家族との日常のワンシーンを
大切にしていきたいと
感じています。
たとえば
一緒にご飯を食べる時間。
なんてことのない会話で
笑い合う瞬間。
「おはよう」「おやすみ」と
声を掛け合うひととき。
そんな小さな積み重ねこそが
生きている間の
宝ものなのだと思います。
心に残った父からの“最後の贈り物”
父の旅立ちは
悲しみと同時に
「大切にしたいこと」を
そっと教えてくれる
出来事でもありました。
「特別なこと」ではなくて
「日常の中の小さな一コマ」が
貴重なことだったのだと
父が残してくれた
“気づき”のように思います。
家族の事柄だけではありません。
“今”を丁寧に扱うこと
涙を無理に止めなくていいこと
寄り添いの言葉が、人を深く救うこと
そのすべてが
父からの最後の教えのように感じています。
読んでくださってありがとうございます
こうして文章にすることで
自分の気持ちが少し整理され
やわらかく息ができるようになりました。
流れる気持ちがあれば
流れるままに。
涙が出るなら
それも自然なこと。
おかげさまで
やっとここまでの感情の整理が
できるようになりました。
「寂しいね」
「大切にね」
そう寄り添ってくれた皆さんにも
心からの感謝をお伝えしたいです。
これからも、自分のペースで
心を整えていきます。
読んでくださり
ありがとうございます。
この場を借りて
言葉をくださったみなさんに
心から感謝を申し上げます。
寄り添う温度に救われました。


